鍋島翁の爺通信

白秋 – 人生稔の秋です

未分類

生涯、忘れられない言葉

私には、死ぬまで永遠に忘れられない言葉がある。20歳代前半に受けたトラウマ。岸壁から突き落とされたような。死ぬことはなかったが、その傷は未だに癒されることもない。自分にとっては、二度と聞きたくない辛い体験です。話したくもないのですが。自分の治療のために、あえて言葉にします。
 20歳の中毎、好きになりそうな女性ができました。その女性はやや派手で、男好きなタイプの方でした。何かの縁で、知ることとなり、こころの距離が近くなると、その女性のことが気になるようになりました。ただ、3-4日間、連絡が途絶えて、心配になりました。「どうしていたの。連絡がとれなかったの?」と尋ねると、「どうでもいいでしょう。使って、減るものでもないし」この言葉の意味をどう受け止めればよいのか、いまだに悲しい、辛い。衝撃、人を全く信頼できない言葉、ショック。人間不信。


 確かに、使って減るものではない。しかし、そこには、倫理観、性的な倫理観、使ってはいけない言葉、相手がどれくらい辛い体験をするのか、それがわからない女性なのだなあ、悲しいというか、本能というか、バカまるだしというか。男性遍歴の激しい女性、自分のプライド、人間として守るべき最低限のルールとか、そんなことすら、わからない人。愕然とした私は、姿を消しました。以来、40数年間が過ぎました。未だに、この言葉が油断すると、記憶から再現されるのです。消そう消そうとしても、忘れられない言葉。


 人間関係って、私が大切にしているのは、信頼、尊敬(リスペクト)、愛です。この言葉は、いずれもコッパみじんにさせられました。私が人間的に未熟だったということもあるでしょうが。あまり、汚い社会を見たことがなかったもので。
 この言葉はともかく、夫婦、親子、職場などて、絶対にしてはならない、言ってならない最低限のルールということもあると思います。どんな人も、自分の誇りを怪我させることを平然としている人が現実、かなり多いのです。自分がそんな仕打ちをされたらどうかという視点で、自分の言葉や行為を考えないと、大変なことになります。大なり小なり、誰もが誇りをもって生きています。その誇りを完全に打ち砕くような行為や言葉はあってはならない。


 現代社会、平然とそんなことをする人が増えているような気がします。時代とともに、モラルが低下しているのでしょうか?いくら文明がしても、人間の本質は変わらないでしょう。集団でのお互いの関係は永遠に変わらない。私は、この言葉を背負ったまま、天国に逝くことになりますが、その女性の方は、自分の言った言葉の意味の重大ささえ、気づいていないでしょうね。悲しいながら。世の中って、そんなものでしょうね。


Share this post