人は生きていくためには、生きていくことを支えてくれる対象が必要だと思います。私は、幸いにも、食事、入浴、掃除、洗濯、会話など、家内がいることで、生活が楽しく送れています。ときに、価値観が異なるためのちょっとした口論はありますが・・・対象(家内が元気にしていることが最大の幸せです。
ところが、今、私の外来を訪れている2名の女性の方は、80代と70代のもともと元気でしっかりした方。夫を失われて、対象喪失のために、不安や軽度の抑うつ状態へ。一時は、毎日電話がかかってきていました。身体の些細な不調(いつもより少し血圧が高いとか)、不眠、夕方じっとしておれないような不安など。家族に頼んでも、それぞれ家庭があるから、祖母ちゃんの面倒など、見る暇もないといいます。私は、亡くなられたご主人の役割をほんの少し手伝っていますが。

喪失体験は、人間の不幸でも最も辛い体験。自分で耐えていくには、相当な時間が必要とされるだろう。この体験は、いつ起こるかもしれませんし、誰にでも必ず生じます。空白の時間です。私に頼ってこられることは、まったく問題ではありません。医療者は、しばらく亡くなった方の話し相手になることが仕事。ずっと、ずっと電話で対応していくことは困難ではありますが。
薬を出しても、勿論効果はみられず、漢方薬なども処方することが多いのですが、喪の儀式がはてしなく続く場合は、果たしてどうしたらよいのでしょうか?子どもさんが、すぐ近所に住んでいてくれれば、安心されるのでしょうが。今は核家族時代。たとえ、近所に住んでいても、なんども電話がかかってくると、家族も疲れ果ててしまうでしょう。それくらい、人は孤独に弱いのです。一人で生きていくことが難しいのです。誰かがいつもそばにいてほしいのです。その根底には、誰かを支えているという無意識の対象がなく、その方の仕事がなくなってしまうため、毎日の空白をうめる時間が無意味なものになっていく。人は生きている限り、何かに専念したい、自分がだれかのための存在価値を見出したい本能があるのでしょうね。

私は定年退職しました。のこり20年間の人生で、おそらく家内を失うか、自分が別世界にいくのか、わかりませんが、生きている限り、自分の存在を確かめることができる何か!仕事を失いたくないですね。
