今日のWBCにおける日本メキシコ戦は感動しました。11時半頃、半分あきらめて昼の弁当を買いに行きました (I’m sorry)。スーパーの中で、11時45分頃、「ウァー」と店内に大きなどよめきが鳴り響きました。日本魂を再度確認することができ、日本人はすごいと自信がもてました。
私にも、何度もブレイクした時期がありましたので、人生あきらめずに、突き進めば逆転も可能であると再確認しました。最期まで、人生はわかりません。

19歳の浪人時代も東京でホームレスとなり、友人に救われて、2人のご老人の見守りで吉祥寺で1年間無料で住むことができました。24歳時も、経済的な事情から、養子縁組で救われたことは幸いなのですが、その環境に適応できず、家出しました。それがきっかけで精神科に入局。人間関係における適応不全や同僚の突然の死など、トラウマだらけの10数年。保健管理センターに異動できたことは自分にとって、最大のブレイク人生だと今になって感じています。49歳、ニュージーランドの招聘教授が1つの自分の進化につながっていますが、53歳時に腎臓がん。やっと5年過ぎて開放されたかと思うと、肺転移のステージⅣ。60歳頃に、肺の病変が自然消失。どれだけ放射線を受けたか、わかりません。41歳時に「アル中」といわれ(実はアルコールは飲めない体質」、63歳時に「初期アルツハイマー型認知症」といわれ(実はある事情でうつ状態へ)、人事関連がからんだ時期に私の「アラ探し」が広がりました。ただ、ブレイクを乗り越えると、自分が進化しているような気がします。私に人間の愚かさを教えてもらっています。諦めてはいけないですね。神様はちゃんと見守ってくれているといつも心に言い聞かせています。

ブレイク人生、人生塞翁が馬、山あり 谷あり、誰でも同じような人生を送っているようです。私が尊敬しているSAGAなんでも相談クリニック院長にそんな話をしてみると、院長は「棺桶に入る前に、これでよかった」と思える人生を送りたいと。そうですね!
