私には自尊心がある。それは、両親から頂いた深い愛情である。幼い頃に得られた愛情は生涯普遍である。どんな危機的状況でも、壊れそうな自尊心が復活する。佐賀少年刑務所に約8年間、非常勤として勤務したが、面接者の自尊心に注目した。残念ながら、拒否能力が弱く、自尊心の崩壊を修復できていなかった。どんなに貧しい生活であれ、教育を受けることができなくても、自尊心は形成される。その中心になるのは、友人であり、会話である。自分を表現し、相手に理解してもらうことで、自尊心は高まっていく。自分の存在感を確かめることができる。多くの事件は、自尊心の傷つき、あるいは喪失、あるいは、崩壊である。

先日、65歳の中学校の同窓会があった。20名物故者がいたのは、悲しかったが、参加者は自尊心に満ちていた。どんな違いがあろうと、中学卒業後50年経過しても、変わりはない。お互いを尊重し、昔話が撤回していく。お互い比較することもなく、自分が偉いとか、立派とか、そんなことはもうどうでもよい。この年令まで、自尊心が大きく傷ついて落胆しても、中学校の同期生は助け合う。すばらしかった。決して、アラ探しする友人もいない。自然だ。馬鹿になれる。完璧を求めるものもいない。これが本来の人間関係ではないだろうか。両親に感謝したい。私をこのような人間に育て上げたことに。
