鍋島翁の爺通信

白秋 – 人生稔の秋です

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馴染みの店が閉店し始めている。

最近、昔からある近所の店が閉店している。ビデオショップ、日用品販売ショップなど。閉店に至るまでのプロセスを振り返ると、ある一定の傾向がある。ビデオ店が書店を始める、文房具店も。最後は、店員が1名だけ。会計は機械がする結末。誰もいない。なぜ、こんなになってしまったのか?コロナの影響?人を大切にしない店は、徐々に人が寄り付かなくなるのだろうか。人を大切にしない、信頼しない、安売り、それでよいのだろうか。小さな店でも、会話があった。また、あいつが来ている。挨拶でもするかなあとか、立ち話でもしようか。


 ニュージーランドの自殺研究で私が出した結論。1987年にニュージーランド政府が制定した900箇所の郵便局を300箇所に減らし、民営化した。その後、失業者が増加した。一番大切な現象は、ニュージーランドの郵便局の存在価値は、子どもたちやお年寄りが集まり、気軽に会話ができる場所。それを合理化することで、会話ができる場所がなくなった。その現象を知っていたのか、どうか。2007年に日本でも郵政民営化。その後、自殺者が年間2万人前後だったのが、3万人に増加した。失業者の増加が影響しているのは明白だ。


 合理化は、失業者を増やし、職がない人が生きづらくなり、自殺者が増加する。誰が考えても、残酷な政策である。その後、ニュージーランドは、郵便局を一部国営化した。さて、ここで考えなければならないことはコロナって一体何だったのだろうか?馴染みの店を潰す結末を見て、自然に涙が浮かぶ。

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